こんにちは。風読珈琲店のカエデと申します。
今回は、朝井リョウさんの話題作『正欲』をご紹介します。
本書は、ある事件の報道から始まり、登場人物たちの視点を通してその背景が少しずつ明かされていく構成。
“多様性”という現代的テーマに鋭く切り込んだ、読む前の自分には戻れない一冊です。
作品情報
- 書名:正欲
- 著者:朝井リョウ
- 出版:2023/5/29
- ページ数:528
公式紹介文
自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな――。息子が不登校になった検事・啓喜。初めての恋に気づく女子大生・八重子。ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。ある事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり始める。だがその繫がりは、”多様性を尊重する時代"にとって、ひどく不都合なものだった。読む前の自分には戻れない、気迫の長編小説。
あらすじとテーマ
物語は、児童ポルノ容疑による逮捕報道から幕を開けます。
その事件に至るまでの過程が、検事・啓喜、女子大生・八重子、契約社員・夏月といった異なる立場の人物たちの視点で描かれます。
本作の中心テーマは「多様性」。
一見ポジティブなこの言葉の裏に潜む、社会の矛盾や不都合な真実を浮き彫りにします。
こんな方におすすめ
複数の視点が交差する物語が好きな方
バラバラだった登場人物の物語が、少しずつ一本の線に繋がっていく構成は、ミステリー的な面白さも。
多様性に関心がある方
“多様性”を称賛するだけでは見えてこない、社会の本音に触れたい方に。
見どころ① | “まとも”とは何か?
多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています。自分と違う存在を認めよう。他人と違う自分でも胸を張ろう。自分らしさに対して堂々としていよう。生まれ持ったものでジャッジされるなんておかしい。
『何者』p.6
「異性に芽生える欲望だけが“まとも”なのか?」
「多数派であることが“正義”なのか?」
本作は、現代社会が抱える“正しさ”の定義に疑問を投げかけます。
LGBTQやジェンダー、社会的少数派への包摂が進む令和の時代。
その一方で、“多様性”という言葉が生む、見えない排除も存在します。
三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四であるように
『何者』p.339
この表現が秀逸。
「まとも」であることの正解は、その時代の多数派でいること、のような気がします。
多数派でいることは心地よい。だが、それは非常に不安定でしょう。多数派を選び続けることは、立派な少数派になりうるのだから。
見どころ② | 表紙の「鴨」が意味するものとは?
この世界が、【誰もが「明日、死にたくない」と感じている】という大前提のもとに成り立っていると思われている
『何者』p.5
『正欲』の表紙には、物語に一切登場しない一羽の「鴨」が描かれています。一見すると、水面に飛び込む瞬間や、空を舞うような躍動感を感じさせる構図ですが、よく見るとその「鴨」は上から吊るされています。
この違和感こそが、本作のテーマと深く結びついています。
(あえて、吊るされていることに気付くのが”少数派”になるような描き方をしているようにも思えます…)
1. 自由の象徴としての鴨?
鴨は一般的に「自由」や「幸福の訪れ」を象徴する鳥とされています。
水陸空を自在に移動できるその姿は、境界を越えて生きる存在として、多様性や包摂のイメージにも重なります。
しかし、『正欲』の表紙の鴨は、自由に見えて、実は不自由。
吊るされていることで、命の有無さえ曖昧になり、見る者に不安と疑問を抱かせます。
2. “見え方”と“実態”のズレ?
この鴨の描写は、物語の根底にある「見え方」と「実態」のズレを象徴しているとも言えます。
- 多様性を尊重する社会に“見える”けれど、実際には排除や断罪が潜んでいる。
- 幸福そうに“見える”関係も、他者からは理解されず、否定されることがある。
- “まとも”に“見える”欲望も、実は社会が勝手に定義しただけのものかもしれない。
このように、「鴨」は社会の視線によって形作られる“正しさ”の不安定さを象徴しているのかもしれません。
3. 吊るされた鴨=社会に縛られた個人?
吊るされた鴨は、まるで社会の価値観に縛られ、自由を奪われた個人の姿にも見えます。
それは、物語に登場する人物たち――啓喜、八重子、夏月――が抱える“セイヨク”にも通じます。
彼らの欲望は、社会的に“正しい”とされる枠組みから外れていれば、理解されにくく、時に断罪される。
それでも彼らは、自分自身の欲望と向き合い、他者との関係性の中で生きようとします。
まとめ
朝井リョウ『正欲』は、現代社会における“正しさ”や“欲望”のあり方を問い直す作品です。
多様性を受け入れるとはどういうことか?
その問いに、あなた自身の答えを見つけてみませんか?
関連作品の紹介
『何者』朝井リョウ
就職活動を舞台に、人間の醜さにフォーカスした作品。直木賞受賞作。
『死にがいを求めて生きているの』朝井リョウ
”平成”を生きる若者の人生にフォーカスした作品。