こんにちは。風読珈琲店のカエデと申します。
今回は、朝井リョウさんの作家生活10周年記念作品であり、第34回柴田錬三郎賞を受賞した衝撃作『正欲』をご紹介します。
本書は、ある児童ポルノ事件の報道から始まり、異なる背景を持つ登場人物たちの視点が交差しながら、その事件の裏側にある「真実」が明かされていく重厚な群像劇です。「多様性」という言葉を二度と軽々しくは使えなくなる、読む前の自分には戻れない一冊となっています。
作品情報

- 書名:正欲
- 著者:朝井リョウ
- 出版:2021/03/26(単行本)、2023/06/01(文庫)
- ページ数:382ページ(単行本)、528ページ(文庫)
公式紹介文
自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな――。息子が不登校になった検事・啓喜。初めての恋に気づく女子大生・八重子。ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。ある事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり始める。だがその繫がりは、”多様性を尊重する時代"にとって、ひどく不都合なものだった。読む前の自分には戻れない、気迫の長編小説。
あらすじとテーマ
物語は、横浜地検の検事・寺井啓喜、寝具店販売員の桐生夏月、大学生の神戸八重子といった、本来交わるはずのない人々の視点で進みます。彼らを繋ぐのは、ある「特殊な指向」と、世間を騒がせる「児童ポルノ事件」です。
本作が問いかけるのは、現代社会で魔法の言葉のように使われている「多様性」の正体です。それは本当に誰にでも開かれたものなのか、それとも「まともな側」が理解できる範囲に限定された「おめでたい」ものに過ぎないのかを、鋭く描き出しています。
こんな方におすすめ
「多様性」という言葉に漠然としたモヤモヤを抱えている方:世の中の「正しさ」に潜む暴力性を可視化してくれます。
緻密な構成の群像劇が好きな方:バラバラな人生がパズルのように組み合わさり、一つの事件へ収束するミステリー的な面白さがあります。
映画版(稲垣吾郎・新垣結衣出演)を観て、さらに深掘りしたい方:映画では描ききれなかった各人物の内面や、より踏み込んだ社会批判が綴られています。
見どころ① | “まとも”とは何か?
多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています。自分と違う存在を認めよう。他人と違う自分でも胸を張ろう。自分らしさに対して堂々としていよう。生まれ持ったものでジャッジされるなんておかしい。
『何者』p.6
「異性に芽生える欲望だけが“まとも”なのか?」
「多数派であることが“正義”なのか?」
本作は、現代社会が抱える“正しさ”の定義に疑問を投げかけます。
LGBTQやジェンダー、社会的少数派への包摂が進む令和の時代。
その一方で、“多様性”という言葉が生む、見えない排除も存在します。
三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四であるように
『何者』p.339
この表現が秀逸。
「まとも」であることの正解は、その時代の多数派でいること、のような気がします。
多数派でいることは心地よい。だが、それは非常に不安定でしょう。多数派を選び続けることは、立派な少数派になりうるのだから。
見どころ② | 表紙の「鴨」が意味するものとは?
この世界が、【誰もが「明日、死にたくない」と感じている】という大前提のもとに成り立っていると思われている
『何者』p.5
『正欲』の表紙には、物語に一切登場しない一羽の「鴨」が描かれています。一見すると、水面に飛び込む瞬間や、空を舞うような躍動感を感じさせる構図ですが、よく見るとその「鴨」は上から吊るされています。
この違和感こそが、本作のテーマと深く結びついています。
(あえて、吊るされていることに気付くのが”少数派”になるような描き方をしているようにも思えます…)
1. 自由の象徴としての鴨?
鴨は一般的に「自由」や「幸福の訪れ」を象徴する鳥とされています。
水陸空を自在に移動できるその姿は、境界を越えて生きる存在として、多様性や包摂のイメージにも重なります。
しかし、『正欲』の表紙の鴨は、自由に見えて、実は不自由。
吊るされていることで、命の有無さえ曖昧になり、見る者に不安と疑問を抱かせます。
2. “見え方”と“実態”のズレ?
この鴨の描写は、物語の根底にある「見え方」と「実態」のズレを象徴しているとも言えます。
- 多様性を尊重する社会に“見える”けれど、実際には排除や断罪が潜んでいる。
- 幸福そうに“見える”関係も、他者からは理解されず、否定されることがある。
- “まとも”に“見える”欲望も、実は社会が勝手に定義しただけのものかもしれない。
このように、「鴨」は社会の視線によって形作られる“正しさ”の不安定さを象徴しているのかもしれません。
3. 吊るされた鴨=社会に縛られた個人?
吊るされた鴨は、まるで社会の価値観に縛られ、自由を奪われた個人の姿にも見えます。
それは、物語に登場する人物たち――啓喜、八重子、夏月――が抱える“セイヨク”にも通じます。
彼らの欲望は、社会的に“正しい”とされる枠組みから外れていれば、理解されにくく、時に断罪される。
それでも彼らは、自分自身の欲望と向き合い、他者との関係性の中で生きようとします。
まとめ

朝井リョウ『正欲』は、現代社会における“正しさ”や“欲望”のあり方を問い直す作品です。
多様性を受け入れるとはどういうことか?
その問いに、あなた自身の答えを見つけてみませんか?
関連作品の紹介
『何者』朝井リョウ
就職活動を舞台に、人間の醜さにフォーカスした作品。直木賞受賞作。
『死にがいを求めて生きているの』朝井リョウ
”平成”を生きる若者の人生にフォーカスした作品。

