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現代脳科学の基礎と応用 第7回:記憶の仕組みと脳の可塑性【脳の教科書 解説7/8】

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前回の講義では、人間の知性の象徴である「言語」や「思考」、そして左脳と右脳の役割分担について学びました。これら高度な精神活動を支えているのが、本日学習する「記憶」と、経験によって脳の配線が変化する「脳の可塑性(かそせい)」です。

私たちは、朝食に何を食べたかといった些細な出来事から、自転車の乗り方、言葉の意味まで、膨大な情報を保持しています。脳はどのようにしてこれらを記録し、また、必要に応じて取り出しているのでしょうか。本日は、記憶の分類、記憶を司る脳部位、そして脳がみずからを作り変える驚異的な仕組みについて詳しく解説します。


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1. 記憶の分類:時間による区分

記憶を理解する最も基本的な方法は、その「持続時間」に注目することです。

短期記憶:意識の作業台

短期記憶は、数秒から数分程度の極めて短い期間だけ保持される記憶です。その容量には限界があり、同時に留めておける事項は5〜9個(平均7個)程度と言われています。 短期記憶の特徴は、非常に不安定で「干渉」に弱いことです。例えば、電話番号を覚えようとしている最中に誰かに話しかけられると、すぐに忘れてしまいます。この記憶を維持するためには、頭の中で繰り返し唱える「リハーサル」という作業が必要です。

神経細胞のレベルで見ると、短期記憶は「神経細胞の持続的な電気活動」によって保持されています。側頭連合野や前頭連合野などの細胞が、記憶が必要な間だけ活動電位を出し続けることで、情報が心に留め置かれます。

長期記憶:知識の貯蔵庫

一方、長期記憶は、数日から数年、時には一生涯にわたって保持される記憶です。短期記憶とは異なり、こちらは「神経回路の特性の変化(配線の組み換え)」として脳に物理的に刻み込まれています。 私たちは日常の出来事の大部分を忘れてしまいますが、強い印象に残ったことや、繰り返し学習したことは長期記憶へと転送されます。

2. 長期記憶の多様な形態

長期記憶は、その内容の性質によってさらに細かく分類されます。

宣言記憶:言葉で説明できる記憶

自分の意志で思い出し、言葉で表現できる記憶を宣言記憶と呼びます。

  • エピソード記憶: 「昨日の夕食に何を食べたか」といった、特定の日時や場所に関連した個人的な経験の記憶です。
  • 意味記憶: 「日本の首都は東京である」といった、個人的な経験とは無関係な知識や事実の記憶です。

手続き記憶:体で覚えた記憶

手続き記憶(非宣言記憶)は、自転車の乗り方や楽器の演奏、箸の使い方など、いわゆる「体で覚えた」記憶です。これらは意識しなくても自動的に引き出されるのが特徴で、健忘症の患者であっても、この手続き記憶は比較的よく保たれる傾向にあります。

3. 「考える」ための記憶:作業記憶(ワーキング・メモリー)

近年、脳科学で極めて重要視されているのが作業記憶(ワーキング・メモリー)です。これは単に情報を一時保持するだけでなく、その情報を加工・操作して、理解や判断、推論を行うためのシステムです。

例えば、スーパーで「今日の夕食はカレーにしよう」と決める場面を考えてみましょう。このとき、脳内では「目の前の肉の値段」という新しい情報と、「冷蔵庫にある野菜の在庫」や「カレーの作り方」という長期記憶から引き出された情報が同時に保持され、それらが関連付けられて判断が下されます。 この複雑な操作の司令塔となっているのが前頭連合野です。前頭連合野が損傷されると、情報の保持や順序の整理が困難になり、複雑な思考を伴う課題の成績が著しく低下します。

4. 記憶の固定化と海馬の役割

記憶がどこで作られ、どこに蓄えられるのか。この謎を解く大きな手がかりとなったのが、HMさんという有名な症例です。

HMさんは重度のてんかん治療のため、脳の深部にある海馬とその周辺を切除しました。手術の結果、発作は治まりましたが、彼は「新しいことを全く覚えられない」という深刻な記憶障害(前向性健忘)に見舞われました。彼は先ほど会った医師の顔を忘れ、トイレへの道順も覚えられませんでしたが、知能テストの数値は正常で、手術以前の古い記憶や、新しい「手続き記憶」の習得は可能でした。

このことから、海馬の役割について以下の重要な事実が判明しました。

  1. 海馬は、新しい出来事を長期記憶として固定化する過程に不可欠である。
  2. 海馬自体が長期記憶の「貯蔵場所」ではない(古い記憶は残っているため)。
  3. 長期記憶の本体は、情報の処理を行っている大脳皮質全体に分散して保存されている。

カナダの脳外科医ペンフィールドは、手術中に側頭葉を電気刺激すると、過去の光景が生き生きと蘇る現象を報告しました。これは、大脳皮質の回路そのものに記憶が刻まれていることを示唆しています。

5. 脳の可塑性:配線が変わる仕組み

脳がコンピュータと決定的に異なる点は、使用されることによって「ハードウェア(配線)そのものが変化する」という特性を持っていることです。これを脳の可塑性と呼びます。

シナプスの変化:スパインの驚異

記憶の物理的な実体は、神経細胞同士の接合部である「シナプス」の伝達効率の変化にあります。 よく使われる回路では、樹状突起にある小さな突起である「スパイン(棘)」の数が増えたり、形が太く短くなったりします。太いスパインは電気信号をよりスムーズに伝えるため、回路の接続が強化されるのです。 逆に、使われない回路ではスパインが減少し、伝達効率が低下します。

シナプス発芽

また、日本の脳科学者である塚原仲晃教授らは、特定の神経が損傷した際、別の神経が新しい枝を伸ばして空白の接続を埋める「側枝発芽」という現象を証明しました。マウスに手先の作業を訓練させると、対応する運動野のシナプス数が有意に増加することも確認されています。このように、学習とは脳の中に新しい物理的な回路を作り上げることなのです。

6. 睡眠と記憶の切っても切れない関係

「寝る子は育つ」と言いますが、脳科学の視点からは「寝ることで記憶は定着する」と言えます。

特にレム睡眠(体が眠り、脳が活動している状態)は、長期記憶の形成に決定的な役割を果たしています。イスラエルの研究者サギらによる実験では、新しい視覚課題を訓練した後、レム睡眠を意図的に妨げると、翌日の成績が全く向上しないことが示されました。 学習した成果は、睡眠中に脳の中で整理・統合され、大脳皮質の回路へと固定化されます。したがって、試験前の徹夜は短期記憶には有効かもしれませんが、確かな知力として長期記憶を形成するためには、十分な睡眠が不可欠です。


第7回のまとめ

本日の講義では、脳の最も動的な側面である記憶と可塑性について学びました。

  • 記憶の二階建て構造: 電気活動による一時的な「短期記憶」と、回路の変化による永続的な「長期記憶」を使い分けている。
  • 作業記憶の重要性: 前頭連合野が司令塔となり、情報を操作して高度な思考を実現している。
  • 海馬の「関所」機能: 海馬は情報の固定化を担い、定着した記憶は大脳皮質全体に分散保存される。
  • 脳の可塑性: 経験によってスパインの数や形が変わり、脳はみずからを「アップグレード」し続ける。
  • 睡眠の効能: レム睡眠中に記憶の整理と固定が行われるため、学習と睡眠はセットで考えるべきである。

脳は一度完成したら終わりの「固定された臓器」ではありません。皆さんが今日この講義を聴き、何かを学んでいる今この瞬間も、皆さんの脳内ではスパインが形を変え、新しい配線が作られています。

次回は最終回として、「脳の発達・病気とリハビリテーション」について、これまでの知識を総括しながら学んでいきます。

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